ニワトリの突然死。。きょうことのお別れ。
あまり書きたくないことなのですが、その反面とても大切なとこでもあるため書きました。飼っているニワトリの突然死。キツネ等の害獣ではなく昨日まで元気だったニワトリが突然亡くなる。
我が家の鶏がはじめて突然死した。そのニワトリは「きょうこ」。鶏を飼い始めるにあたってはじめて人工孵化で生まれた烏骨鶏。人工孵化で何度も失敗を繰り返し、ようやく出会えた雌鶏のにわとり。一羽だけ産まれたため、私たちの手の中で一人っ子として育てられた。とっても優しい性格で人懐っこく育ってくれた。私達も他の鶏とは違う特別な感情を抱き、溺愛していた。特に夫は、いつもきょうこと一緒に庭で畑仕事をしたり、抱っこしたたまよく一緒に外で昼寝したりぼーっとしていた仲だ。そんなきょうこが亡くなったのは3月の出来事。
夫が第一発見者で、私は出かけて帰ってきて突然知らされた事実。家族のような存在だったため、言葉にできない悲しみとショックであった。なぜ??という言葉だけが頭の中をぐるぐるまわる。キツネに何度か襲われて亡くなったニワトリさん達が過去にいるのだが、庭のミズナラの木の下にみんな一緒にいれてあげていた。その場所へ家族みんなできょうこのお参りにいったら、長くて深い穴が掘られている。なんと、きょうこの亡骸のかけらは一つもなくなっているではないか。キツネがきょうこの亡骸を見つけてもっていったに違いない。野生動物の感の優れている能力は想像を超えていた。夫が土の深い中に埋めたきょうこの亡骸を見つけ出すのだから。
そして、その後もその動物は味を占めたのか、我が家の植えている木々の根元をあちこち掘り返しているのだから・・。きょうこの犯人を捕まえるべく、すぐに箱罠をしかけることにした。亡骸はなくなってしまったので、家の中にきょうこの写真と、きょうこと同じ色の真っ白の花を供えて、玄米を置きしばらくそこでお参りすることにした。
箱罠を仕掛ける
↑小さいサイズと大きいサイズの2種類の箱罠を設置する。
箱罠を設置したものの、なかなか犯人の動物は捕獲できず。餌だけなくなっている日々。餌はなくなっているのに逃げられているというということは、もしかしてキツネではなく小動物??この箱罠の隙間から逃げれる動物??箱罠の上にカメラを設置して犯人を確定することにした。そうこうしているうちに罠にある動物が捕獲された。
キツネではなく、まさかの「テン」というイタチの仲間の動物であった。見た目は可愛いが、テンは肉 食で自分の体より大きい動物も平気で襲う。ニワトリ小屋に侵入して全滅させる程の恐ろしい動物だという。私の住んでいる自治体は、テンはキツネと違って害獣に指定されていないため、処分することはできず、放獣するしかない。
5歳の息子が毎日罠の設置の手伝いから、罠にかかってないかの確認を一生懸命していたため夫は息子を連れて放しに行った。罠にかかったテンはとっても狂暴で私達を鋭い目つきで威嚇している。テンも生きるのに必死、テンが悪い訳ではないのだが、こんなことが繰り返されてしまったら困るからごめんね。これで少し安心、ニワトリさんを安心して外に出せるかな。こうやって飼っている動物を野生動物から守ることはこの暮らしで私達の永遠のテーマだ。何か起きてから罠を仕掛けるのでは遅い、、まさにイタチごっこだ。
色々考えたのだが、番犬ならぬ、ニワトリさんを守ってくれる強くて大きい犬を飼うのが一番良いのではないかと悩んでいる。動物には動物で対抗するしかない。ニワトリをやっぱり外に自由に出しあげたい、ニワトリの健康は放し飼いで守らている感じる。狭い小屋の中ではなく、外の草花、虫をついばみ、ストレスフリーに過ごすことがニワトリを飼う上で大切だと感じるから。それは我が家の鶏をみたらわかるはず。ニワトリ小屋のドアを開けた瞬間の待ってました~外に出れてう嬉しそうな姿は微笑ましいから。
にわとりの突然死、二度目の悲劇。
きょうこの突然死から1か月が経った、その悲劇はまた我が家に起きた。今度は名古屋コーチンの雌の突然死だ。私はいつものよう鶏小屋に行くと、巣箱の前で倒れている雌鶏を発見・・・。昨日までいつもと変わらず元気で庭で過ごしていたのに、なぜ??1か月前と同じ悲劇。感染症的な病気だと数日前から鶏の体調不良として現れるし、今回も一羽だけなのでそれも考えにくい。
鶏自体の外傷もなに一つない。悲しくて涙が止まらない、泣きながら野原に咲く花を探しにいく。箱の中に、藁を敷き詰めて、その上にそっと置いてお花を一緒に添える。保育園から帰って来た子供達には事実をまず伝えた。2歳と5歳には理解するにはまだ早いだろうと思ったので、「悲しくなるから鶏さんの姿は見なくて大丈夫だよ、お花だけ摘んであげてね」と伝えた。しかし、息子は「鶏さんに会うよ」というのだから。ほんとに大丈夫かな~?と思ったが、子供達は家の周りに咲いている花を元気いっぱいで走って摘みに行くんだから。
その後、箱の中にいる鶏さんのことを真剣にじーっとみて、花を添えてくれた。手を合わせて、息子は「沢山たまご産んでくれてありがとう」と言った。2歳の娘は離れた所から、「こわい。」と言いながたそっと覗いていたのだが、後から「ニワトリさん可愛かった」と話してくれた。幼い子供とはいえ、子供なりに感じて自分たちの気持ちや思いを表現してくれた。ひよこ時代から育てて共に暮らした鶏さん達はやはり家族のような存在だから、お別れする時もみんなでしていこう。またテンやキツネに亡骸を持って帰られては困るため、翌日、埋葬することにした。夫は見ないで家に入ってていいよと妊婦の私に気遣って言ってくれたが、私にも責任があるからと一緒に見るよと言った。火が燃えゆく中で私と夫はぼーっと一羽の雌鶏を見届けた。
悲しいという感情は越えて、動物を飼うことは生死を間近でみなければならない、これは避けては通れないことだとあり、今後も何度もこのような経験をするだろうと考えていた。3時間後、とても小さな骨の欠片だけが残り、そのかけらを拾ってミズナラの木の下へ、「ありがとう、さようなら。」と心の中で唱えた。自分たちの都合でいのちを生み出しているのだから、このような悲しい出来事も受け止めていかなければならないと、私はまた強いキモチでいた。
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